◆ 「イーハトーヴ交響曲音楽会」が北京で開かれた
5月20日、第15回「相約北京(北京で会おう)」芸術祭の招待プログラムとして、「イーハトーヴ交響曲音楽会」が北京世紀劇院で盛大に行われた。
「イーハトーヴ交響曲」とは、作家・宮沢賢治氏が思い描いた理想郷“イーハトーヴ”の世界観を作曲家の冨田勲氏が音楽によって表現した交響曲のことである。演奏は中央音楽学院EOS交響文献楽団が担当し、合唱は宮沢賢治氏の出身地である岩手県花巻市の「混声合唱団イーハトーヴフレンズ」と「イーハトーヴ子ども合唱隊」が務める。またヴァーチャル・シンガー初音ミクをソリストとして起用すると言ったクラシックとヴァーチャルが融合した新時代の音楽作品である。
中国文化部、国家新聞出版広電総局および北京市政府が主催した「相約北京(北京で会おう)」芸術祭に日本から出演者が招かれたのは4年ぶり、今回は唯一の日本からの参加だった。
イーハトーヴ初の海外公演で演奏を行ったのは、中国音楽学院EOS交響文献楽団で、海外現地のオーケストラに演奏を任せるのは初めての試みだ。
公演当日は3日連続の晴天に恵まれた。客席は1700人あまりの観客に埋め尽くされ、中日両国から30社のメディアが取材に駆けつけた。
上演中の静かな雰囲気とは違い、オーケストラや合唱団および指揮の河合尚市、作曲家の冨田勲を紹介する場面や初音ミクがスクリーンに現れたときおよび退場の際には熱い拍手が長くとどまることがなかった。観客からの高い評価が伺える。
クラシックとモダンの融合、芸術とハイテクの融合体であるイーハトーヴ交響曲音楽会だが、この度北京での公演が実現できたきっかけは、78年前、富田勲氏がまだ5歳だったころまで遡る。当時北京で医者として勤務していた父親は冨田さんを天壇公園に連れて行き、回音壁の向こう側から小さな声で自分の名前を呼んでくれた。不思議なことに、声が小さくても、離れていても、はっきりと聞こえていたのだ。当時の衝撃的な体験が幼い冨田氏に大きな影響を与え、音楽への道を歩むようになったという。冨田氏は常々「北京の回音壁、中国との縁があったからこそ、今日の私がいる」と言っている。
公演の運営は株式会社ムーランプロモーション。同社代表取締役、日中映画祭実行委員会理事長、在日華人女優である耿忠さんは10数年前に富田勲氏がご自身の音楽作品を以て中国への感謝を表すため、イーハトーヴ交響楽音楽会を中国で開きたいとの念願を知った。その後、彼女長年に渡る努力を経て、今回のIHATOV交響曲北京公演が実現できた。
冨田勲氏は日中記者会見で、日中のアーティストたちの完璧なコラボレーションはきっと共通の理想の郷を描くことができると口々に話されている。
富田勲(作曲家)
「こんなに中国の方々に受け入れられるとは考えてもいなかったので、驚いています。」
耿忠(弊社社長)
「中国の観客は、日本の曲であるイーハトーヴ交響曲に感動したし、合唱団の皆さんが感情込めて歌ったことに感動しました。
たくさんの人がイーハトーヴをきいて泣いていたとききました。合唱団の皆さんは声も良かったけど、一所懸命な姿が印象的で、歌に溶け込んだような気がしました。」
河合尚市(指揮者)
「たぶん、関わっている人たちすべての、最高の力を結集できた公演だったと思います。私の知らないところで、暗がりで仕事をしていたスタッフの人たちも最高のパフォーマンスをして、表にいる演奏家を支えてくれました。ミクも最高に調子が良かったようで、まだ直接話してはいませんが、きっと彼女も満足した公演だったと思います。」
伊藤博之(Crypton Future Media, Inc.社長)
「冨田先生の音楽は、アジア的な旋律が随所に入って、アジアの人が心を動かされる音楽が多いです。だから、今日も、冨田先生の音楽に心を動かす観客は少なくなかったと思います。音楽って、そういう意味では、地域や人種も関係なく、感情を伝える言葉なんです。共通の言葉をつうじて、日本と中国の特に若者たちが、言葉を通じてますます交流して、お互い理解を深めることができるに違いないと感じました。」